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ココロを軽くする話

話を聴くプロ☆心理カウンセラーのブログです。

2015年10月9日

乳がんを受け入れ生きる[9]

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<<乳がんを受け入れ生きる[8]からの続きです。

私達が車からたくさんの物資を降ろし、家に運びこんでいたとき、
その人は声をかけてくださいました。

「だいじょうぶですか。手伝います。」

さわやかに言い、かさばる荷物を軽々と持ち
運び込んで下さいました。

そして最後に、
「頑張ってくださいね。」と、また爽やかに言い、
去って行きました。

その方は、自衛隊員の方でした。
まだ見つからない行方不明の方の捜索に
連日あたってくださっていた方です。

当時は暑い季節で、いくら体力があるとは言え、
捜索だけでも相当疲れておられたと思います。

きっと夜は車両で寝泊まりし、食事も普段より
切り詰めた物を食べていたかもしれません。

いくら普段から鍛え、訓練をしているとは言え、
そんな自分たちがしんどい状況で、
笑顔で、目の前の人をさりげなく助け、
捜索活動に戻って行かれる姿を見て、
私は衝撃を受けました。

「この人、なんなんっ!!なんで、こんなことができるの!」

その方は、自衛隊員なので国家公務員です。
私も当時、地方公務員で、同じ税金を
頂いて働く立場でした。

しかし、仕事が嫌で嫌でたまりませんでした。
病気の治療が終わったら復帰することは
出来たのですが、やめようかどうしようか
悩んでいた時期でもありました。

そんなときに、目の前で同じ税金をいただき、
使命をもって、自分の命をかけて、
自分のやるべきこと、また、それ以上のことを、
しかも笑顔でされている、その方の姿を見て、
頭が真っ白になりました。

「私は何をしてるんだろう。」
「税金で仕事をさせていただきながら、
不満だらけで。」
「せっかく助けていただいた自分の命を、
今までみたいに投げやりに粗末にしては
いけない。」
「せっかくなら、自分の経験を活かし人のためになるような
ことがしたい。」

そう、思いました。

仕事を辞めるにあたっては、かなり悩みました。
家族や同僚にも相談しました。

でも、もう私は仕事に戻ることはありませんでした。

病院でサポートしてくださった、臨床心理士の方、
そして、このときの自衛隊員の方との出会いが、
私が人生を見直すきっかけをくださいました。

自分のことが好きになれなくてもいい、
せっかく生まれてきたこの命を無駄にしては
いけない。

色々な積み重ねにより、せっかく助けていただいた
この命を粗末にしてはいけない。

そう思いました。

それからときが流れ、今があります。

乳がんの治療は、来年の夏で終わります。

しかし、それから5年経っても再発しなければ
やっとひと安心と言えるそうです。

体質的に、出来やすい体かもしれないということは
忘れないようにしないといけません。

テレビでちょうど、川島なお美さんや北斗晶さんの
ことが放映されていたことも、この経験をお話ししようと思った
きっかけのひとつだったのですが、正直、迷いました。

「お二人に比べたら、私の経験なんか大したことない。」
「全摘でもないし、抗がん剤治療もしていない。」
「北斗晶さんがこれからされる治療に比べれば、楽なもんだ。」

そう思い、やめようかと思いました。
でも、そのとき、思ったのです。

「本当に、大したことなかったの?」
「本当に楽だったの?」と。

本当は、不安で怖くて眠れなかった。
本当は、一時は死を覚悟した。
大げさだと言う人もいるかもしれません。
でも、私にとってはそれが現実でした。

注射の副作用で生理が止まり、
更年期障害と同じ状態になり、
季節に関係なく汗が吹き出し、
周りから不思議な目で見られ「汗かきなんです。」
と言い、なんでもないような顔をするのがつらかった。

自分でもなんでもないことだと思い込ませて
いましたが、親しい人に話したとき、涙が
こみ上げてきました。

「あぁ、私つらかったんだ。」

つらさやしんどさは、人と比べることではない、と
思いました。

自分が、つらかったこと、しんどかったこと、
それを乗り越えて今の自分があります。

それを認めてあげないと、そのときに頑張った自分を
認めてあげていないことと同じです。

あなたも、頑張ったことありますよね。
きちんと、認めてあげていますか。

つらさやしんどさは人と比べることでは
ないのです。

私は一枚のイエローカードをもらいました。
そのカードを胸にしまい、悩み苦しんでいる方に
寄り添い、少しでも心の整理のお手伝いが出来るよう、
これからも研鑽を重ねていきます。

 

Posted 足立信子 : 08:00 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月8日

乳がんを受け入れ生きる[8]

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からの続きです。

退院はしましたが、治療は続きます。

次は、放射線治療です。

目に見えるがんは手術で取りましたが、
もしかしたら目に見えないがんが、乳房内に
残っているかもしれません。

それを放射線を照射して、やっつけるのです。

放射線治療は、始めると連続照射になります。
回数は、その方の状況によって変わります。

私は25回でした。
月曜日〜金曜日まで毎日一回、5週間病院に通いました。

実際の照射時間は一分足らずで、痛くも痒くもありません。

ただ、照射する部分がずれてはいけないので、
目印のために線を引かれます。

それをなるべくお風呂でも消さないようにしてください、と
言われながら、薄くなったら書き足してもらいました。

放射線治療により、人によっては副作用がでます。

だるさ、発熱、下痢、精神的な落ち込みなど。
また、照射が肺にかかってしまうと肺炎を引き起こす
場合もあります。

なのでその時期は、疲れを溜めないようにと
先生に言われていました。

ありがたいことに、私はその副作用は出ませんでした。

でも、必ず出てしまう副作用がふたつあります。

ひとつ目は、放射線を照射することにより、汗腺も影響を受けます。
そのため、そちら側の胸からは、一生、汗も油も出ません。
冬はカサつきます。

そしてもうひとつ。

放射線は、もちろん乳腺にも影響を与えます。

照射した側の胸からは、一生、母乳が出ません。

ショックでした。

右胸にもがんが出来る確率は、ゼロではありません。
そうなれば母乳が出ない体になります。
でも、放射線治療をしなければ、現在の左胸の再発
リスクが高まります。

闘病仲間と話したことがあります。

「できる治療があるうちは、やろう。」
「使える薬があるうちは、使おう。」

人によっては、抗がん剤もホルモン剤も
効かないタイプの方もおられます。

それを思うと、やれることがあるうちは、
やろうと思い、放射線治療をやり切りました。

その年は、東日本大震災のあった年でした。
そして、自分の病気。
命について考えさせらる年でした。

しかし、それだけでは終わりませんでした。

私がまだ治療を続けていた頃、実家が、
大水害に見舞われました。

そして、おじが水にのまれて亡くなりました。

小さいころにお世話になっていた方も、家ごと流され、
家があったところは、土砂しかありませんでした。

数日後、その方達は遺体で発見されました。

私の実家も少しずれていたら、どうなっていたか分かりません。

道路も所々、寸断され、電気も水道も止まりました。

私は、食料や飲料水、泥にまみれた家を片付けるのに
役立ちそうなものを買い込み、夫の運転する車で帰省しました。

私がついた頃は、まだ行方不明の方がおられ、
警察、警察犬、消防、自衛隊の方などが捜索に
あたって下さっていました。

変わり果てた景色に現実感を持てないまま実家に
たどり着き、車をおり、物資を家に運びこんでいたとき、
私達に声をかけて下さった方がおられました。

その方がかけてくださった言葉、してくださったことに衝撃を受け、
私は頭が真っ白になりました。
  

Posted 足立信子 : 08:00 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月7日

乳がんを受け入れ生きる[7]

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<<乳がんを受け入れ生きる[6]からの続きです。

いよいよ手術当日の朝になりました。

手術の前に状況を確認するために、CTを撮りました。

少し緊張しながら撮影室に入ると、これから執刀してくださる
主治医がニコニコしながら部屋に入ってこられました。
そして、

「今日、奥さんの誕生日なんだよね〜。」

とおっしゃいました。

私は、
「へえ〜、そうなんですか!」と答えながら、なんか気持ちが
少し和らぐのを感じました。

先生は、あえて私の緊張を解くために、その話を
してくださったのです。

おかげで、手術室に入り、脈拍や血圧のモニターをつけて
いただいたとき看護師さんに、「足立さん緊張してますか?」
と聞かれたぐらいです。

手術は3時間ほどで終わったと思います。
もちろん麻酔がかかっているので、目覚めたときは
終わっていました。

手術前に色んな検査をしましたが、切ってみないと分からないことが
あります。

それは、脇のリンパ節に転移しているかどうかです。

それを検査するためには、手術中にリンパ節を少しとり
それを検査薬で確認し、もし、転移していれば、
脇のリンパを大きく切除することになります。
北斗晶さんがされた手術です。

リンパの流れが悪くなるため、むくむ可能性が高く(浮腫といいます。)、
術側の手には、指輪、時計をはめられませんし、
重いものも持てません。血圧測定も注射もそちら側ではできません。

私が怖かったことのひとつは、そのリンパ節にまでがんが来ているか
どうかでした。

そこまで来ているということは、そこを通過して、
目に見えないがん細胞が全身に拡がっている可能性が
高いということです。

それは、手術中に初めて判明するものであり、終わってみないと
私には分かりません。

それと、もうひとつ。

胸の形がどうなってしまうのか、ということ。

手術が終わり、包帯が取れても怖くて
しばらく見ることはできませんでした。

ただ、あとで聞いたお話によると、
手術中、先生は麻酔で眠っている私を起こして、
胸のバランスを確認しながら、執刀してくださった
そうです。

そして、手術後の診察の時も、
「表から見ると傷もそんなに大きくないけど、中は
結構寄せたりしているからね。」とおっしゃいました。

私はその言葉に「はっ」としました。

術後の胸のバランスが少しでもよくなるよう、
患者の気持ちに配慮して先生は手術をしてくださったのです。

この病院を選んで本当によかったと思いました。

私のがんは、左胸の上部、体の中心寄りにありました。
幸運にもリンパには転移していませんでした。

ただ、検査のために少しリンパを取っているため、
注射や血圧測定は今でも右側の腕でしています。

浮腫の心配はほぼない、とのことですが、念のため
重いものは左側の腕では持たないようにしています。

術後、感覚が鈍っていた脇と二の腕の感覚も
日を追うごとに戻り、今はほとんど依然と変わりません。

術後は経過もよく、わずか3日ほどで退院することができました。

そこの病院のご飯は、とても美味しく、同じ時期に入院していた人たちも
暖かく迎え入れてくださったので、とっても居心地がよく、
もうしばらく入院していたい気分でした。

もし、何かあっても病院なら看護師さんがいてくれます。

ただ、不必要に入院させていただけるはずもなく、
帰宅後、緊急時にかけられる電話番号を教えていただき
退院しました。

  

Posted 足立信子 : 14:58 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月6日

乳がんを受け入れ生きる[6]

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からの続きです。

話を戻します。

私は、看護師さんに案内されるまま扉を抜け入院フロアに入りました。

あとから思うと、特に照明が暗かった訳ではないと思うのですが、
自分の先入観からか日常とは違った雰囲気を感じました。

お部屋や施設の説明を受け、その日は帰りました。

私のがんは、それほど大きくありませんでした。
大きい場合は、手術前に抗がん剤治療をし、がんを小さくしてから
手術をする場合があります。

と言うのは、がんを切除すると言っても、がんの部分だけを切除する
のではありません。

目には見えなくて、がんそのものの周辺にも拡がっている場合が
あるので、大きめに切除します。

切除部分を少しでも小さくするために、手術前に抗がん剤で小さく
するのです。

私は先生の判断で手術前の抗がん剤治療は不要でした。
その変わり、タイプ的にホルモン治療が効くタイプだったので
手術前から飲み薬をいただき、服用していました。

これは、5年間飲み続ける必要があるため、今も飲んでいます。

飲み薬の他には、二年間注射を打っていました。

医学の進歩はすごいな、と思ったのですが、
その注射はお腹に皮下注射でしてもらっていたのですが、なんと
その薬液には、小さな小さなカプセルのようなものが入っていて、
注射したあとに、時間をかけて少しずつ滲みだして効いていく
というものでした。

打ってもらったあとは、特に痛くも痒くもなく、
不思議な感じでした。

入院日も決まり、専用の下着も買い、いよいよ入院が
近づいてきました。

切除した後の胸が、どんな形になるのか、見た目はどうなるのか
終わってみないと分かりません。

ただ、切除前の形と変わってしまうことは確実です。

鏡の前で自分の胸をみて、
「この形を見るのも、これで見納めなんだ。」と思いました。
普段、胸の形を気にすることはありませんでしたが、
いざそうなると、なんとも言えない気持ちになりました。

怖かったです。

人によっては、手術前に写真を撮って残しておく方も
おられるようですが、私は撮影しませんでした。

入院前夜は、寝よう寝ようと思っても寝られず、
翌朝は、起きてもボーっとしていて、視線が一点を見つめているような
状態でした。

それでも、キャリーバックに必要な物を詰め準備をしました。

するとその時に、またしても私らしいミニトラブルが起きました。

差し歯が抜けたのです!!
しかも前歯!
入院して手術をするのに、前歯がないなんて、
なんか、余計に落ち込みそうで、急いで歯医者に
連絡し、なんとかはめてもらい、無事、病院に出発することができました。

あとから考えると笑えます。なんでその日だったのかと。

入院当日の部屋は、個室でした。
基本は相部屋ですが、手術前後と調子のよくない
人が優先的に個室を使わせていただけます。

個室にはシャワーもついていて、ホテルの個室の
ようでした。

緊張はしていましたが、ここまで来たら「まな板の上の鯉」です。
翌日の手術に備え、いただいた睡眠導入剤を飲み早めに床につきました。

  

Posted 足立信子 : 08:14 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月5日

乳がんを受け入れ生きる[5]

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<<乳がんを受け入れ生きる[4]からの続きです。

今日は、少し現在のお話をしたいと思います。

先日、定期検査に行ってきました。
今は、3ヶ月に一回通院し、採血と飲み薬をもらうこと、それと体の検査を
順繰りにしていきます。

検査は、CT→MRI→骨シンチグラフィ→マンモグラフィという順番で
3ヶ月ごとに行います。

MRIと骨シンチグラフィについては毎回造影剤を投与して、撮影をしていただきます。
体質によっては、アレルギー反応が出る方もおられるようですが、私は
ありがたいことに、副作用もなく毎回無事に検査を受けることが出来ています。

先日は、骨シンチグラフィの検査でした。

診察室に入り、いつもの先生の前に座ります。

先生は画像を見ながら「なあ〜んも、ないよ〜。」といつもの調子で
おっしゃってくださったのですが、「ただね〜、肋骨にヒビが入ってたみたい。」と
おっしゃいました。

その言葉を聞いて、私には思い出したことがありました。

昨年末、風邪をひき、しばらくしつこい咳に悩まされていました。
そうこうする内に、大きく息を吸い込んだり、お風呂で湯船につかり
水圧がかかったりすると、痛かったことがあったのです。

「ああ、きっとあれだなあ。」と思いました。

画像には、その部分が黒く影となって映っていました。
ただ、今は、骨が集積してくっついているから問題ないとのことでした。
そして、足のスネの骨の影も特段、大きくなっていることもなく、安心しました。

病気を宣告され、大きな治療が終わっても、再発のリスクは常にあります。

生存率〇%と、テレビなどで聞きますが、それはあくまでも目安であって、
自分がどっちに入るのかは誰にも分かりません。

大きな治療が終わりかけていた頃、私は再発の不安を抱えたまま、この先
どうやって精神の安定を保って行けばいいのかと心配していました。

そんなとき、病院の臨床心理士さんが中心になり、
同じような時期に手術をした患者さんの中から希望者を募り、
サポートグループを作るという取組がありました。

「がん」という重い響きをもつ病気のことを誰かに話しても、
相手の方もどう答えていいか分からず困らせてしまうと思い
あまり話せないでいたのですが、程度の差はありますが、
同じ経験をした人達となら、もっと気兼ねなく話せるのではないかと思い
参加しました。

がんになった患者の心の動きの研究も兼ねておられたようで、
大学の先生も来られ、心理テストをしたり、それぞれの経験を話したり
しました。

それぞれの経験を話すなかである方が、
「私たちはイエローカードをもらったんやね。」と表現された方が
おられました。

「なるほど、そうか。」

そう思うと少し気持ちが落ち着きました。

もしかしたら再発するかもしれない。でも、もしそのときが来たら、
「とうとうこの時がきたか。」と受け止められるように、自分がこれからを
どう生きたいのか、悔いのないように生きるにはどうすればいいのか
考えて行こうと思いました。

再発するかしないかは、まったく分かりません。
もしかしたら、乳がんは再発することなく、結果的に別の病気で亡くなる
場合もあります。

どんな理由で死ぬかは、誰にも分かりません。

でもイエローカードをもらい「あなた、その生き方でいいの?」と、
体が悲鳴をあげて私に教えてくれたと思い、私はこれからのことも
考えるようになりました。

健康な方でも、体内では毎日すごい数のがん細胞が出来ていて、
通常は免疫がそれをやっつけてくれているので発病することがないそうです。

もちろん、生活習慣など色んなことがあって、結果、発病するのでそれだけが
原因ではないのですが。

なぜ、免疫が弱ってしまうのか。

それは、やはり「ストレス」と関わりがあるようです。

ストレスのない人は、いません。
でも、同じ状況でも、ストレスを感じる人とそうでない人がいます。

ということは、簡単に言うと、自分に一番ストレスを与えていたのは
まぎれもない自分だったということに気が付きました。

自分が自分を一番イジメていたのです。

物事の受け止め方によって、感情は変わります。
「もう、自分をイジメるのはやめよう」そう思いました。

治療は、計5年必要で、私はあと一年をきりました。
それが終わっても、再発のリスクはゼロでありません。

もらった「イエローカード」をたまに取り出して、
自分の生き方について考えながら、悔いのないように
歩いて行きたいと思います。

 

Posted 足立信子 : 11:07 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月2日

乳がんを受け入れ生きる[4]

<<乳がんを受け入れ生きる[1]
<<乳がんを受け入れ生きる[2]
<<乳がんを受け入れ生きる[3]からの続きです。

全身麻酔をかけてもらい、足の骨の検査が始まりました。
検査中は、麻酔がかかっているので、目覚めたときはもう終わってました。
そして、ドラマによくある光景で、目覚めた私の顔を夫と先生が
覗き込んでいました。

結果は後日、ということで、その日は夫の運転する車で帰宅しました。

夫には、がんが分かってからずっと心配をかけていたと思うのですが、
動揺を見せないようにしていたのか、もともと冷静なタイプなので
地のままなのか分かりませんが、いつも落ち着いて見守ってくれていました。

検査結果は、悪性の腫瘍ではありませんでした。

簡単に言うと、小さいころに骨を形成する段階で、ちょっとしたミスが起こり
組織がうまく形成されておらず、その部分だけ、他の所に比べると、
ちょっとスカスカになっている、とのことでした。

日常生活に問題はないが、歳をとるとそこから足が弱ってくるかも
しれないとのことでした。

念のため定期検査を何回か重ねましたが、広がることもなく
日常生活にも何の支障もありません。

足の検査をクリアし、いよいよ、入院、手術となりました。

入院を前に、看護師さんから病院内の説明や、用意するものの説明がありました。

まず、思い出すのが、術後につける下着のことです。

手術直後や、その後しばらくの間は、やわらかい素材のものを選ぶようにと
教えていただき、その中で、大手下着メーカーが、乳がん患者専用の
下着をつくっておられることを知りました。

病気になっていなかったら、まったく知らない世界のことで、
私たちは色んな人に助けていただきながら、日々過ごしているんだな、
と改めて思いました。

それまでは、「自分が嫌い」と思いながら生きてきた私でしたが、
乳がんになり、思うことがありました。

「乳がんになり、よかったかも。」と。

どんな病気でもそうですが、今、私たちが受けている治療や
飲んでいる薬は、開発者の方の気の遠くなるような研究の賜物で、
しかも製品化するまでは、私たちの先人が、身をもって治験に参加して
くださり、効き目や副作用についても検証したうえで、やっと完成されたものです。

そして、治療にあたってくださる医師や看護師さんを見ていると
本当に頭が下がります。

仕事といえば仕事なのかもしれませんが、私がお世話になっている
病院の方たちは、患者のことを思い、色んなことに配慮してくださり、
少しでもストレスを減らし、少しでも早く元の生活にもどれるよう
考えてくださっています。

「医者の不養生」という言葉もありますが、体調が悪くても
患者のために診療をしてくださる姿を見ると、なぜ、ここまでの
情熱を注ぎ続けることができるのかと、聞いてみたい気持ちになります。

命と向き合う重い仕事です。
きっと、自分の限界や無力さもたくさん味わってきたんだろうな、と
思います。

私の主治医は、いつもニコニコして、雰囲気を和らげてくださいます。
治療についての説明も、深刻にならず、スパッとしてくださいます。

あえて、患者の気持ちに配慮して、自分の中でスイッチを入れて
接してくださっているんだろうな、と思います。

あるとき、こんなこともありました。

診察の中で、私が、これからのことや仕事のことなどで悩みを
抱えていることを知ると、診察後、看護師さんが横に座り手をにぎり励ましてください
ました。私は周りの目を気にする余裕もなく、待合室で鼻水をたらしながら
しばらく泣いていました。

こんなにたくさんの方の思いと積み重ねがあり、私は治療を受ける
ことができている。こんなに一生懸命、「人の命」を大事に守って
行こうとしてくださる方たちがいることを知り、私は、
「命って大事なんだ。」と改めて思いました。

病気になるまでは「命は大事」と聞いても、どこか実感が湧かず
冷めた目で見ていました。
生きていたって嫌なこともいっぱいあるし、別に生まれてきたくも
なかったし、死ぬなら死んでもいいか、と考えたりしていました。

がんが分かった年は、東日本大震災のあった年です。

自衛隊の方や、家族のかたが必死に行方不明の方を捜索する
姿も、記憶に新しい頃でした。

この経験を通して、
「命を粗末にしてはいけない。」
「こんなにもたくさん、私を助けようとしてくださっている人がいる。」
と初めて思いました。

そして、あたたかいスタッフに支えていただき、私は治療に
臨むことができました。

話を戻しますと、入院にあたっての説明の場で、
入院フロアの案内がありました。

そこは、外来から扉をひとつ隔てた向こうにあり、
スタッフやお見舞いの家族の方、そしてたまに
患者さん本人が出入りするのを見かけていました。

そして、自分も時期が来たらあの扉をあけて、
手術をするんだ、といつも見ていた扉です。

正直、そこに足を踏み入れるのは、とても怖かったのです。

末期の方もおられるかもしれません。
気持ちも沈んで行きそうで、怖くてたまりませんでした。

でも、とうとう、看護師さんに案内されるまま扉を抜け
入院フロアに入りました。

  

Posted 足立信子 : 11:19 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年10月1日

乳がんを受け入れ生きる[3]

<<乳がんを受け入れ生きる[1]
<<乳がんを受け入れ生きる[2]からの続きです。

病院を決め、いよいよ治療が始まりました。

治療に先立ち、まずは状態を確認するための検査があります。

エコー、マンモグラフィ、CT、MRI、骨シンチグラフィという骨に
がんが転移していないか、などの検査です。細胞診ももう一度した気がします。

ひととおり検査をしていくなかで、思いもよらないところに影が発見され、
私は打ちのめされました。

がんを宣告されてからは、気を張って、本を数冊買いこみ自分なりに勉強し、
混乱しながらも前向きに取り組もうと思っている最中のことでした。

骨シンチグラフィという骨の画像を見て先生が、
「なんか足のスネの骨に影があるんだよね。」とおっしゃいました。
骨に腫瘍などがあると、影となって映る、とのこと。

乳がんが転移して、いきなり足の骨にいくことは考えにくいから、
別物だろうと。

小さいお子さんが罹患することがある「骨肉腫」と言われるものの可能性が
あるので、専門病院で検査を受けてきてほしいとの指示でした。
進行が早く最悪の場合、足を切断しなければならない、とも聞かされました。

先生は、その場で大学病院の予約を取ってくださり、後日検査をすることに
なりました。

それまでは何とか気持ちを保っていた私でしたが、診察後、耐えきれず
トイレに駆け込みました。

「なんで私だけ、なんで私ばっかりこんなことになるの。」

恐怖と言いようのない絶望感に襲われ、少しの間、トイレにこもっていました。

その病院には、患者と家族の心のケアをするために、女性の
臨床心理士さんがおられました。

先生と連携をとり、心のケアにあたってくださいます。

その病院で治療を受けるとなった当初もお話を聞いてくださり、
足の検査が必要になったときも、当日ではなかったかもしれませんが、
時間をとってお話を聞いてくださいました。

この臨床心理士さんの存在も私にとってはとても大きく、私が
心理カウンセラーを目指すきっかけをくださった人のうちのひとりです。

そして、いよいよ、大学病院での検査当日になりました。

スネの骨の組織をとり、それを検査し、悪性かどうか調べるものでした。

日帰りで検査ができるようにと、全身麻酔で行いました。
下半身麻酔だと、完全に麻酔が切れるまで時間がかかるから、
と聞いたような気がします。

「乳がんの手術の前に、さらに、全身麻酔をして検査するなんて。」
と考えると、また恐怖がこみ上げてくることもありましたが、
知った以上ほっておくわけにもいかず、これがハッキリしないと
乳がんの治療もすすみません。

緊張しながら検査着に着替え、指定された部屋に行きました。

緊張していたからなのか、もともとのおっちょこちょいが顔を出したのか、
検査着を前後ろ逆に着ていて、ちょっと恥ずかしい思いをしました(笑)

そして、全身麻酔をかけてもらい検査が始まりました。

Posted 足立信子 : 07:23 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年9月30日

乳がんを受け入れ生きる[2]

<<乳がんを受け入れ生きる[1]からの続きです。

精密検査の結果を聞くために病院に行き、名前を呼ばれ診察室に入ると、
「今日はおひとりですか。」と聞かれ、内心「エッ!」と思いながら、「はい。」と答え、
先生の前に座りました。

そして先生は「残念ながら悪性でした。」とおっしゃいました。

「エッ、私が?」「近いうちに死ぬの?」

先生はこれからの治療のことを色々と説明してくださいました。
途中、看護師さんが「大丈夫ですか。」と声をかけてくださったことが、
余計に「私、がんなんだ。」って現実味を帯びて実感しました。

その先生は、人間ドックを受けた検診センター併設のクリニックの先生で、
本来はそのグループ病院の別の総合病院で乳腺外科の先生をしているとのことでした。

その場で、「あとあとのリスクを考えると乳房を全摘出した方がよい。」と
言われ、「そうなんだ。」と、ただただ話を聞いていました。

そして、帰宅後、家族に相談し、セカンドオピニオンを受けようということになり、
病院をさがしました。あとあとの通院のことなども考えるとどこがいいのか、
治療実績は?など調べてみるものの、しばらく迷いました。

そんな中、別の理由でお世話になっていた病院のグループに、乳腺専門の病院があることが分かり、
予約を取って家族と一緒にいくことになりました。

予約当日になり、その病院に足を踏み入れたとき、「ああ、女性に配慮した、清潔感のある病院だな。
総合病院みたいに、暗い感じがまったくないな。」と思いました。

最近の産婦人科は、ちょっとしたホテルのような雰囲気のところが多いですが、
その病院もそんな感じでした。

そして、順番になりドキドキしながら診察室に入りました。

その先生は「こんばんは。どうぞ〜。」と、満面の笑顔で出迎えてくださいました。
先に診断を受けた先生とはまったく違い、気さくな雰囲気を作ってくださっていたので
ホッとしました。

そこで出会った先生が、今の私の主治医です。

いきなり乳がんと宣告された私は、病気の成り立ち、治療法についてはまったく分からず、
不安だらけでした。

そんな私に先生は、分かりやすく紙に絵を書いて、乳がんとはこういうもので、治療については
おおむねこういう方法があり、どれを選ぶかは、がんのタイプと自身の体質により決定していくと、
丁寧に説明してくださいました。

そして、調べてみないと分からないが、全摘出ではなくて部分切除でいけるかも
しれない、とおっしゃいました。

そのとき私は、胸に対するこだわりがなく「リスクが残るなら、全摘でも構いません。」
と言った覚えがあります。

先生は、ちょっと不思議そうな表情をされていたように思います。

ひととおり説明を受け、最後に診察室を出るとき先生は、
「うちに来ても来なくても、がんばってね!」と、笑顔で送り出してくださいました。

看護師さんも、専門の勉強をしておられ、不安な私の気持ちをくみとり
励ましてくださいました。

「ああ、ここでお世話になろう。」

そう思い、家族とも相談のうえ、その病院に決め、いよいよ治療が始まりました。

  

Posted 足立信子 : 10:48 | 乳がんを受け入れ生きる |

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2015年9月29日

乳がんを受け入れ生きる[1]

最近、芸能人の方が、がんで亡くなられたり、手術をされたりするお話を
立て続けに聞きますね。

今、このブログを読んでいただいている方の中には、ご本人が、がんになられたり、
ご家族、親戚、友人、知人の方ががんになられた経験をお持ちの方も、
おられるかもしれません。

私も、今、乳がんの治療中です。

私が、乳がんを宣告されてから今までの治療や、それに伴う心の動き、
そして、なぜ、心理カウンセラーになろうと思ったのか、などを何回かに分けて
お伝えしたいと思います。

お話を始める前に、まずお伝えしたいことがあります。

もし、これを読まれている方で、ご本人や家族の方などに、
「胸に今までとは違う痛みがある。」
「胸にしこりがあるような気がする。」
「乳頭から分泌物が出ている。」などの症状がありましたら、一刻も早く病院で
検査を受けてください。

初期の頃は、痛みを感じないというお話もあるようですが、気になることがあれば、
すぐに病院で検査を受けてください。そして、30歳を過ぎたら毎年検診を受けましょう。

私は、乳がんの治療を始めて、5年目に入りました。今、40歳です。

順を追って話しますと、東日本大震災が起こった年の5月に乳がんになっていることを
知りました。

もともと、30歳になった頃から、人間ドックを受けていました。
確か、34歳の頃の人間ドックで、「乳腺症」という良性の腫瘍があると言われました。
そして念のため、半年に一回は検査を受けるように言われました。

やはり怖かったので、1回目の検査は受けたのですが、2回目は面倒くさいという思いと、
人間ドックも近いし、そのときに検査するから、いいやと思い受けませんでした。

そして、人間ドックを受け、結果が来ないうちに検診機関から電話が入りました。
「先生が、精密検査を早めにする方がいいと言っている。」と。

私は、「仕事が忙しく、しばらく休めない。」と答えると、今から思うと看護師の方だったのかなと
思うのですが、「あなた、自分の体のことでしょ!」と強め言われたことが記憶に残っています。

私は、ドキッとし、なんとか職場に無理を言って休ませてもらい、精密検査を受けました。

マンモグラフィ、エコー、触診とひととおり終え、先生が画像診断をしてくださったのですが、
「どうも、しこりの顔つきが悪い。」とおっしゃいました。

良性なら、腫瘍のフチが滑らからしいのですが、悪性だとガビガビしているらしいです。
バイキンをイラストで描いたときのイメージに似ているかもしれません。

そのため、もう少し詳しく検査をすることになりました。
二回に分けてしたのかもしれません。

最初は「細胞診」といって、しこりの部分の細胞を採取し検査をするもの。
そして次に「組織診」といって、細胞よりも広い範囲の部分を採取し
組織としての状態を確認するためのものでした。

採取は、診察室で部分麻酔で行い、その日は普通に帰りました。

そして後日、ひとりで結果を聞きに行きました。
特に、誰かと一緒に来てくださいとは言われていなかったので。

名前を呼ばれ診察室に入ると、「今日はおひとりですか。」と聞かれ、
内心「エッ!」と思いながら、「はい。」と答え、先生の前に座りました。

Posted 足立信子 : 14:22 | 乳がんを受け入れ生きる |

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