存在をゆるされている
「今 こうして生きていることが
存在を許されている証拠」
そんな言葉が ふと
思い浮かびました
自分は存在してていいのかな
意味があるのかな
生きてる価値あるのかな
あのひとじゃなくて 私が死んだらよかったのに
生きていても しょうがない
そう思い 考え続けていた時期が
私にはあります
生まれてきた意味とか
生きる意味も ずっと考えて
たくさん本を読みました
でも どれもしっくりくるものは
ありません
「自分は存在してていいのかな」
そう思うのは 幼少期の経験によるところが
大きいです
実際どうだったかは 少し横に置いておいて
自分としては
「自分の存在が歓迎されていると感じられなかった」
「感じられなかった」というところが大事です
もしかしたら周りの反応が 自分の思うような
表現ではなかったので
うまく思いを受け取れなかった
のかもしれません
そうだったとしても「そうは感じなかった」のが
自分にとっては 現実に残った真実です
小さなころに大事にされた経験がないと
「自分を大切にする」ということが体感できず
大人になっても その感覚は残ります
分からないんですよね
「大事に扱う」ということが
概念がないから
さっき ふと車を運転していて
自分を雑に扱いたい気持ちがよぎりました
とても 久しぶりに
感じとしては「やけになる」に
近いイメージ
風邪が治りきらず
生理の加減か頭痛もあるので
その辺からくるコンディションの影響も
ありそうですが
「自分をたいせつに扱うきもち」
あなたも もし 感じられないなら
少しずつ 育てていきましょう
まずは「自分を大切に扱う」アプリを
インストールしましょう
あとは 水をやり 陽をあてて
丁寧に 根気よく 育てていきましょう
今 こうして生きていることが
存在を許されている証拠ですよ
それなら 何がしたいですか
なんの得にもならなくていいし
なんの意味もなくていい
生産性もなくていいし
お金にならなくてもいい
しょうもないことでもいい
趣味ともいえないことでもいい
それ 時間を作ってやってみてください
そんなところから 自分の気持ちをたいせつに
していきましょう
今日も あなたもわたしも
おだやかな気持ちで 過ごせますように