寂しさに殺される
今 この本を読んでいます
「寂しさに殺される」
植本一子さんが文中 書かれている言葉です
正確には
「寂しさに殺される、と思ったことのある私にとって、...」
目が釘付けになり
思考がストップしました
言葉がでませんでした
植本さんと私が感じていることは
厳密には同じではないかもしれません
でも
「この感覚を味わっている人がほかにもいたんだ」
「この表現」
まさに自分がずっと感じていた漠然とした感情を
言語化されていて 私の中で明快になり
何かが解決したわけではないけど
少しすっきり
植本一子さんは何冊か「日記本」を出されていて
母親との関係や生き方 育児などについて
その時々の感情を交えながら
読み手が「そこまで書いてだいじょうぶ」と心配になるほど
リアルに書かれています
でも だからこそ こちらも
感情移入ができ共感できて
救われた気持ちになる
今回の本は まだ読み始めたところで
半分も行ってませんが
読み進めたいけど
読み終わるのが嫌で
でも読みたいと葛藤しながら読んでいます
私自身 早く家を出たくて
高校を卒業と同時に就職して
家を出ました
自分の苦しさや生きづらさの理由の
全部とは言いませんが
家庭環境の影響は
あると思っています
これについては長くなるので
また機会があれば書きますが
人によっては
それほど寂しさを感じないひともいて
環境やもともと持った感受性の違いも
あるのだろうけど
寂しさが間違いなく生きづらさや
人生の苦しさにつながっている私にとっては
なんともうらやましく感じます
一説によると
集団でいること(ひとりではない)に安心したり
ひとの役に立つことを快く感じるのは
人間の生存戦略のひとつで
淘汰の結果
その傾向を持った個体の方が
種を継続していくためには
好都合だから
そう考えると
さみしさは 生存のために
植え付けられた感情かもしれないな
とも思う
そう考えて
ある意味しょうがないと
折り合いをつけようとしてみたり
私のさみしさとの向き合い方や付き合い方の
模索はずっと続いている
一切さみしさを感じなかったら
どんなに楽だろうと思う
誰かにわずらわされることなく
自由に じぶんだけで完結できたら
どんなに楽だろうと思う
裏をかえせば
さみしさがあるから
今の生活を続けていられているとも
言える
本の続きはもう少しあるので
じっくりどっぷり没頭します