つらいことに耐えられないのは、カッコ悪いことだと思っていませんか。

 

 

 

 

 

「つらいことに耐えられないのは、カッコ悪い」と思っていませんか。「確かに」と少しでも思った方は、もう少し読み進めてください。

 

子どものころ、誰でも一度は「それぐらい、がまんしなさい」「そんなのいたくない」「たいしたことない」と言われたことがあるかもしれません。

 

この言葉掛けがすべて悪いとは言いません。ただ、あまりにも繰り返し言われると、子どもは自分の感じ方に自信をなくしてしまう。「自分の感覚はおかしいのかな」と疑うクセができる。

 

結果、何をするにも誰かに確認したくなる。

 

「我慢」も同じ。ひどい状況になっていても感じ方に自信がないから「これぐらい我慢しないといけないのかな。」と思い、客観的に見られなくなる。

 

意外と知られていませんが、実はひとによって我慢できる「分野」「強度」は違います。同じひとでも体調や、周りの支援の有無によっても変わってきます。

 

だから、「なんで自分は我慢できないんだろう」と、人と比べることにあまり意味はありません。

 

「あの人だから我慢できる」。ただそれだけ。逆にあの人には我慢できなくても、あなたには我慢ができることがある。むしろ楽しめることもあるかもしれない。たとえば単純作業とか。

 

 

自分を責めそうになったときは、一度立ち止まってみましょう。

 

今、なんとか踏ん張っているあなたは、すでに十分頑張っています。自分を責めるのではなく、まずは褒めましょう。よくがんばっているよ。すごいよ、と。

 

そして、何か対処できることはないか考えてみましょう。職場で苦手なひとがいるなら、可能ならマスクをして「壁」をつくる。そうすればイメージの中で、ここからは誰も入ってこれないという境界線を引くことができる。

 

もやもやが溜まってどうにもならないときは、外に出て大きく息を吐いて、体のなかに溜まったもやもやしたものも一緒に吐き出す。大きく吸って新鮮な空気を肺に取り込む。これを繰り返す。

 

色々試してみても心や体に影響が出て、長引くようなら、もうそろそろ限界のサインかもしれません。「自分を壊してまで我慢する価値のあることなのか」、いちど時間をとって考えてみましょう。価値があることならなおさら、どうすれば負担を減らせるか現実的な方法を調べたり、だれかに相談しましょう。

 

自分が壊れるまで我慢する必要はありません。壊れきる前に言葉にして周りのだれかに伝えましょう。

 

つらい思いをし続けていいひとなんて、世界にだれひとりいません。SOSをだしましょう。周りにいないなら、公的機関やNPOなどをネットで検索してみてください。自分を救い出してあげましょう。伸ばした手は必ずだれかがつかんでくれます。

 

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2025年07月28日