他人はあなたの期待を満たすために生きているわけではない、ということは
アドラーの言葉に
「他人はあなたの期待を満たすために生きているわけではない。」
というものがあります。
はじめてこれを読んだとき
確かにそうだよなぁ、周りのひとは私の機嫌がよくなるように
生きているわけじゃないんだよな、と腑に落ちました。
でも、頭で分かっても なんだかスッキリせず
もやもやが残りました。
なんだか、冷たい感じがして 少し悲しくなりました。
なぜ、そう思うのか自分で考えてみました。
すると出てきた言葉は「人には気を使って やさしくするべきだ。」という
私の中の「べき思考」でした。
この私のルールに反するのと、加えて 自分が見捨てられたような気がして
悲しい気持ちになったのです。
自分のべき思考に気づいた私は、視点をひっくり返してみました。
「他人はあなたの期待を満たすために生きているわけではない。」
ということは
「私は他人の期待を満たすために生きているわけではない。」
そうか、なるほど!とさらに腑に落ちました。
親の顔色を伺いながら過ごしてきた私にとっては
「目の前の人間=親」の期待を満たさなければ
生きていけない、見捨てられると思い、それが大人になった今も
顔を出します。
不機嫌なのは私のせい?
私がなにかしたのかな?
どうしたら機嫌がよくなる?
私はここにいてもいいの?
親の機嫌が悪いときは、びくびくしながら過ごしていました。
それが当時の私にとっては 少しでも安全に過ごすために
必要なスキルだったんです。
でも、もう今は必要がないって自分で気づけたことは
私にとって とても大きな進歩でした。
怒ったり不機嫌になるのは アドラー流に言うと
「相手の課題」
あなたの課題ではありません。
あまり振り回されないように 距離をとりましょう。
意識してみるだけで変わってきますよ。
「他人はあなたの期待を満たすために生きているわけではない。」
「私は他人の期待を満たすために生きているわけではない。」
よかったら これをセットにして頭の片隅に置いておいてください。
あなたの人生を生きましょう。