いつも適応的な考えができなくてもいいよ

いきなりですが

「正論」って ときに人を傷つけます

 

どんな人をかと言うと

それができないひと

状況的に難しいひと

(物理的 精神的 身体的 機能的に)

努力はしてみたけど できなかったひと

に とって

 

正論を振りかざす完璧そうに見えるひとでも

ある面では そうではなかったりって

結構あるあるです

 

正論を言うの 気持ちいいんですよね

「あなたは間違ってる 私は正しい」って

優越感に浸れる

 

ここまで極端じゃなても

目の前の誰かや テレビやネットで

見たり聞いたりしたことに

「ん?」って 思うときは

 

あなたの中の「常識」や「価値観」が

揺さぶられているサインです

 

最近は いろんな分野で「多様性」が

受け入れられやすくなりましたが

昔はもっともっと 生きづらい世の中だったなと

個人的には感じています

 

で 何が言いたいかと言うと

この「正論」も そうですけど

 

人間って いつもいつも

「常識的な」「現実に適応した」

考えや行動ができるわけじゃないし

できなくてもいいんだよ という

お話です

 

朝は早く起きて 朝陽を浴びて

しっかり朝食をとって

 

家族や職場の人の目を見て挨拶をして

コミュニケーションをとる...

 

これ書いててふと思い出したんですけど

世の中で「こうするといいよ」っていうことって

ほぼ必ず 真逆の考えを言う人がいますよね

 

たとえば

「朝ごはんは必ず食べましょう」→

「三食は食べすぎです 朝は抜きましょう」とかね

 

話が脱線してきました

 

でね そんないつもいつも

きっちりしなくていいし

できてない自分を責めなくてもいいんですよ

 

その日の体調や気分

寒さや暑さ

疲れ

女性ならホルモンの変動

 

毎日の体調や気力に合わせて

それなりに過ごせていれば それはもう

まぎれもなくマル〇です!

 

それなりで十分です

 

思ったようにできない日は

自分を責めるのではなく

「ふだん自分がいかに頑張っているか」に

気付いてねぎらう日です

 

もうこれ以上 自分をいじめるのは

やめにしませんか

 

じぶんにちょっと 厳しすぎや しませんか

 

いつも適応的に考えられなくても

だいじょうぶ だいじょうぶ

 

最近 テレビなどでも

「適応障害」という名称を耳にすることが

あると思います

 

ある医師に言わせると

ある意味「現実に適応しようとし過ぎて」

心が追いつかない状態 とのこと

(個人的な見解です)

 

「今日はできな~い」

「むり~」

たまには そんな日 作ってみませんか

 

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2024年03月12日